琉球うみすゞめ

 表紙落葉色地原表紙で袋綴じ、印記は首に「松田蔵」と尾に「をばま」の二印が認められる。四周単辺、無界、一面十二行、版心題なし、本文[二十三]丁で一丁から二十丁までは本文と図版の上下段から成り、一丁(オ)から十五丁(ウ)は「?十一月/二十八日/琉球人登城行烈図」、十六丁(オ)から二十丁(オ)は「寅十一月十八日/就(ニ)御代替(一)従琉球国中山王尚益使者」・「琉球人献上」(物)が本文と上下二段で記載。

 宝永七年(1710)の江戸は天和二年(1682)以来、二十八年ぶりに来朝した琉球来貢使の四千人を超える華麗豪華な登城行列の話題で沸いていた。本書は時の話題であった琉球と大行列図を題名や「通しの挿絵」にして呼物につかった意図が伺える。内容は石見の国の才三郎を主人公とする一種の孝行物語であり、石見から広島、京都、鹿児島から琉球、中国までと物語の場面が展開する。琉球がその中心にあるが、時宜に応じて祖本を手直しし、迅速さで売った。江戸民衆の話題や関心ごとを冷めやらぬ間に取り込んだ「きわもの」的出版の好例といえる。国内で本書の所蔵は他に見られず「天下の孤本」とされる。