准教授・島津 京

島津先生
さまざまな芸術について、作品研究を通じて考える。それはいったいどういった背景を持ち、なぜ芸術とされているのか。
島津 京
准教授



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教員データ

氏名・職位  島津 京(SHIMAZU MISATO) 准教授
文学部開講科目西洋美術思想の歴史
芸術学B
ゼミナールⅠ・Ⅱ・Ⅲ
大学院開講科目美学特講
美学特講演習
略歴福岡に生まれる
1996年 東京藝術大学美術研究科修士修了
東京藝術大学大学美術館助教
2010年から専修大学講師
2015年より准教授
専門分野芸術学/美術史
研究キーワード近代美術史 芸術学 総合芸術 バウハウス 斎藤佳三 美術とダンス 身体とメディア
所属学会美学会/日本舞踊学会/専修大学哲学会/美学・芸術論研究会

主要業績

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単行本(共著・編著・論文集・事典など)
2014年『西洋の美術――造形表現の歴史と思想』晶文社
2010年『まばゆい、がらんどう= Dazzling,Garando』(椎木静寧編)東京藝術大学美術学部付属写真センター
2009年『イメージとパトロン』(稲本万里子・池上英洋・佐々木守俊編)ブリュッケ
2009年『コレクションの誕生、成長、変容――藝大美術館所蔵品選』図録(島津京ほか編)東京藝術大学大学美術館
2008年『Bauhaus experience, Dessau : バウハウス・デッサウ展』図録(島津京ほか編)産経新聞社
2007年De Kuroda a Foujita / peintres japonais a Paris, Paris
2006年『斎藤佳三の軌跡―大正・昭和の総合芸術』東京藝術大学大学美術館
2005年『500年の大系 植物園世界の至宝展』展図録 植物画世界の至宝展実行委員会
翻訳
2006年『ルーヴル美術館展――古代ギリシア芸術・神々の遺産――』日本テレビ放送網(共訳)
2005年『英国王立園芸協会創立200周年記念500年の大系植物画世界の至宝展』植物両世界の至宝展実行委員会(共訳)
1998年ジルベルト・クールナン著「フエニックス、セルゲイ・ディアギレフ――永遠のバレエ・リュス――」『フランス・ダンスの100年――映像で振り返るフランス・ダンス20世紀の光芒』(映像上映図録 三菱地所株式会社/APA芸術振興協会(共訳)
論文(雑誌・紀要・研究成果報告書など)
2009年「絵画的傾向を持つ大正・昭和初期の図案科卒業制作について」『平成19年度東京藝術大学大学美術館年報』東京藝術大学大学美術館
2008年「斎藤佳三のドイツにおける「図案および装飾美術調査」――芸大美術館蔵斎藤佳三関連資料より1923年の手帳・日記・手植から」『平成17・18 年度東京芸術大学大学美術館年報』東京藝術大学大学美術館
2008年「美術館とダンス――展示室でダンスは踊れるか」『舞踊学』31
2000年「ウィリアム・フオーサイス――インプロヴィゼーション・テクノロジーズ」『カリスタ』第7号
1997年「デ・ジェンダリズム」『カリスタ』第4号
その他(講演・座談会・インタビュー・書評・エッセイなど)
2009年『近代日本美術の精華――東京藝大美術館コレクションを中心に――』石川県立美術館
2009年「芸大コレクションを楽しむ」『新美術新聞』4月1181号
2008年「藝大の歩き方 上野の杜のキャンパスガイド 第8回 陳列館」『藝大通信』2008年3月第16号
2007年『パリヘ 洋画家たち百年の夢』日本経済新聞社(第4章「戦後の留学生とパリで活躍する人々」)
2006年『ルーヴル美術館展~古代ギリシア芸術・神々の遺産~』日本テレビ網
2006年「斎藤佳三一大正・昭和の総合芸術の試み」『うえの』571号(2006年11月号)
2006年「ルーヴル美術館展――個性際立つ哲学者像」『読売ウィークリー』2006年7月23日号
2006年「名作の舞台裏」『東京アートナビ』生活ガイド社
2005年「作家ギャラリー」『東京藝術大学大学美術館』週刊朝日百科「美術館を楽しむ」No.13朝日新聞社(2005年1月16日号)

ゼミ紹介

 
芸術研究
これまでゼミナールでは、「芸術」の範疇に収まるもの(事)というゆるやかな主題設定で、各自が関心をもつ事柄について検討してきました。参加者が提示した研究対象は多岐にわたりました。様々な題材を前に、美術とは何か、芸術とは何か、(ある対象は)なぜ芸術といえるのか、など、参加者の関心は「芸術」の枠組そのものにも向かっていきました。今年度も引き続き「芸術」「アート」と関連のあるもの(事)を対象とします。
前期には「美術館と展覧会」の考察を主軸に進めます。単に美術館や展覧会といってもその内容は多種多様です。ゼミ生と共に展覧会または美術館を選び、そこから複数のテーマを引き出し考察した上で、実際の見学も行います。藝術をテーマとした考察を進めるにあたっては、美学、芸術学関連の文献購読を通じてそのスキルを養います。テクストは、参加者と共に決めます。後期には3年生を中心として個人の研究発表を行います。

<講義計画> 前期 展覧会に基づく研究と卒論研究の構想発表、テクスト講読。 夏休み 卒論中間報告+α。 後期 個人の研究発表を中心とした討議、テクスト購読。 卒論については、ゼミ生の前で2度の研究発表を行うほか、随時進捗を見ます。

メッセージ

時々インドネシアのバリ島に行きます。その地の音楽と舞踊に惹きつけられているのです。ちなみに最初の海外旅行は大学生の時で、バリに踊りを習いに行ったのでした。

バリ舞踊の踊り手は神がかっているように見えます。型としての表情はあっても、個人的な感情には結びつかないものです。人に微笑みかけられれば、こちらも微笑み返すなり無視するなり、何らかの反応をするものですが、バリ舞踊の舞い手の表情はそのような働きかけをしません。それなのに、舞い手は大変な吸引力を持っています。講義で目にする質問に、「この絵の作者が何を感じて(考えて)いるかわかりません(だからこの絵がわかりません)。」というものがありますが、バリ舞踊と同様、絵と作者の感情(または思考)はたいして関係ないことが多いです。一度感情=表現説から離れてみると良いでしょうね。

この3月、バリでニュピと呼ばれる新年を過ごしました。ニュピは沈黙の日です。人々は話をせず、出歩きません。電気もつけないので夜は真っ暗です。
身体的になにもしないだけではありません。頭を忙しくさせることや心を乱されることも慎みます。この日は瞑想をする人も多いそうです。なにもしないことが公式に認められている日と言えるかもしれません。これが翌日の早朝まで続きます。あまりにも素晴らしいので、現代日本でも行えば良いのにと思います。
誰もが頭のおしゃべりを止めるという状況においては藝術も哲学も成り立たないのでは、と考える人もいるかもしれませんが、むしろ事態は逆で、その沈黙の経験が、言葉にならないものへの関心を呼び覚ますのだと思います。
今、藝術も哲学も、とまとめて書いたように、両者は異なるものとはいえ無関係ではありません。哲学が言語を使って行うところを、藝術は言語を使わずに行うことがある、といってもいいかもしれません。では、藝術に言葉は不要かといえば、全くそうではありません。言葉を使って藝術を理解することは困難ですが、不可能ではありません。そうした作業を行うというのは、人を理解しようとする事にも似たところがあるのではないでしょうか。

中身が(中身?)若い、と学生さんに言われましたが、こうした好奇心のためかと思われます。このところ疲労困憊していたものの、十数年振りにバリに行ったせいか少し元気が出てきましたので、今年のゼミ合宿では筋トレも入れるかもしれません。頭の中だけ動かしているとわかりにくいことも多いですからね。

【心掛けていることなど】落ち込んだ時には、頭上の空を見上げながら、どこまで高く上昇できるかをできるだけリアルに想像するとやがて落ち着きます。あるいは視覚的に千角形を想像してみます。というのはウソで家に戻って寝ます。

【趣味】前職は学芸職でしたので展覧会の企画、運営に携わっていました。当然他の展覧会にも足繁く通い、内容や運営を研究していました。現在、そうした仕事をしていないにもかかわらず、相変わらず色々な展覧会を見ています。自分は無趣味と思っていましたが、展覧会鑑賞が趣味かもしれません。

大学院

 
美学特殊講義
近現代を中心にさまざまな芸術作品や現象、運動や事件等を取り上げる。受講者はそれに関係する美学美術史分野の文献リストを作り、そこから選んだテキストに沿いつつ芸術学的諸問題を考察する。
 
美学特殊講義演習
年度の始めに、受講者と協議の上、美術、身体芸術、音楽等広く「アート」と呼ばれる分野をテーマにした英語またはフランス語または日本語のテキストを選ぶ。受講者は各自の担当箇所を決め、1名ずつ交代で毎週翻訳、読解、内容の整理を行なった上で、論点を提起する。また、具体的な作品等の対象がテーマとなる際には適宜画像資料を準備し、理論と、一次資料としての作品等(画像そのものは一次資料ではないが)との距離についても考察する。教師は翻訳や内容解釈についての指導を行ない、必要に応じて史的、原理的側面から解説をする。また、場合により美術館等に足を運び、一次資料の分析をより主体的に行う。同時に各受講者は修士論文のテーマについての発表の準備を進める。