教授・金子洋之

金子
言語、コミュニケーション、論理。ことばの働き、とくに自分の考えをことばで他者に伝えられるのはどうしてか、そのメカニズムを探ります。
金子 洋之
教授



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教員データ

氏名・職位  金子 洋之(KANEKO HIROSHI)教授
文学部開講科目ことばの哲学
現代思想概論
ゼミナールⅠ・Ⅱ・Ⅲ
大学院開講科目哲学方法論特殊講義
同演習
哲学方法論特殊研究
同演習
略歴1956年 小樽に生まれる
1986年 北海道大学大学院博士課程単位修得退学
1986年 北海道大学文学部西洋哲学第一講座助手
1991年 から専修大学文学部講師
1993年 同助教授
1999年 同教授
専門分野論理学/数学の哲学/言語哲学
研究キーワード直観主義の哲学的基礎 フレーゲ研究 論理学・数学の哲学的基礎づけに関する実在論、構成主義、物理主義の体系的比較と評価 数学の哲学としてのヒルベルト・プログラムに関する歴史的・論理学的研究
所属学会日本哲学会/科学基礎論学会/日本科学哲学会/専修大学哲学会/北海道大学哲学会

主要業績

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単行本(単著)
2017年『数学はなぜ哲学の問題になるのか』森北出版
2006年『ダメットにたどりつくまで――反実在論とは何か』勁草書房
1994年『記号論理入門』産業図書
単行本(共著・編著・論文集・事典など)
2007年『哲学の歴史 11』中央公論新社
2003年『複雑系社会理論の新地平』(吉田雅章編)専修大学出版局
2002年『科学哲学――現代哲学の転回』(坂本・野本編著)北樹出版
2002年『言語哲学を学ぶ人のために』(山田・野本編)世界思想社
翻訳
2010年マイケル・ダメット『思想と実在』春秋社
2007年『フレーゲ哲学の最新像』(編訳)勁草書房
2001年『フレーゲ著作集5』(共訳:飯田隆編)勁草書房
2001年ゴットロープ・フレーゲ「数学と数学的自然科学の認識源泉」他2編『フレーゲ著作集5』勁草書房
2000年『算術の基本法則(フレー ゲ著作集3)』(共訳:野本和幸・横田栄一)勁草書房
1997年マイケル・ダメット「数学は何についてのものか」『現代思想』Vol.25-9青土社
1995年マイケル・デトゥルフセン「ブラウワー的直観主義」リーディングス『数学の哲学』勁草書房
1994年ヒラリー・パトナム『理性、真理、歴史』 第3章、第5章(共著)法政大学出版局
1993年バーワイズ・エチェメンディ『うそつき――真理と循環をめぐる論考』産業図書
1992年ジョン・バーワイズ著『うそつき――真理と循環を巡る論考』産業図書
1991年ドナルド・ディヴィットソン『真理と解釈』 第3,6,10,13章(共著)勁草書房
1990年G.プリースト、S.リード’オッカムの代表理論の形式化――季刊「哲学」1990年夏号哲学書房
論文(雑誌・紀要・研究成果報告書など)
2008年「対象としての数――-フレーゲの数とウィトゲンシュタインの数」『現代思想』11月号
2007年「ブラウワー哲学再考」『生田哲学』第11号
2007年「ゲーデルと直観主義」『現代思想』2月臨時増刊
2006年Undetachability of propositional content and its process ofconstruction――-another aspect of Brouwer’s intuitionism, Annals of the Japan Association for Philosophy of Science, Vol. 13
2006年「哲学における複雑系」専修大学社会科学研究所月報
2004年「意味論的実在論」『現代思想』7月号
2003年『複雑系社会理論の新地平』 担当:第6章「複雑系と理論」(共著)専修大学出版局
2003年「複雑系社会理論の新地平:第6章複雑系と論理――マルチエージェントシステムと信念の改訂」(共著)専修大学出版局
2002年Brouwer's Conception on language , Mind , and Mathematics, Annals of Japan Association for Philosophy of Science Vol.11No.1
2002年「ヒルベルト・ブログラムと不完全性定理――Michael Detlefsen の研究の概要」生田哲学第7号専大哲学会
2001年「ブラウワーにおける言語と数学」『科学哲学』34-1日本科学哲学会
1998年「抽象的対象と様相」『哲学』第49号日本哲学会
1998年「哲学・論理学方面から見た社会システムの理論と複雑系」『社会科学年報』第32号
1998年「妥当性と有用性――論理の本性についての一考察」『人文科学年報』第28号
1996年「抽象的対象と指示」『生田哲学』第2号専修大学哲学会
1994年「論理学教育の現状と課題」日本科学哲学会(ワークショップ)
1992年「意味の理論はいかにして言語の知識を特徴づけるか――ダメットのディヴィットソン解釈をめぐって」専修人文論集49
1990年「必然性と正当化――非規約主義的反実在論の擁護」『現代思想』1990年10月青土社
1990年「選列と論理Ⅰ――直観主義解析学における連続性原理」『北海道大学文学部紀要』北海道大学文学部
1988年「直観主義タイプ理論の意味論的背景」『科学基礎論研究』第71号科学基礎論学会
1988年「論理の修正可能性について――修正主義と規約主義」『科学哲学』第21号日本科学哲学会
1988年「意味論から意味論へ――ディヴィットソン、ダメットとフレーグ――」「理想」1988年夏第639号理想社
1988年「推理規則と理論定項の意味――自然演繹と seguent 計算をめぐって」『北海道哲学会会報』第35号北海道大学哲学会
1986年「意味と証明-直観主義理論の解釈の問題」『哲学』第22号 北海道大学哲学会
1988年「直観主義理論と意味の理論」『哲学』第19号北海道大学哲学会
その他(学会発表・講演・座談会・インタビュー・書評・エッセイなど)
2006年北海道大学哲学会特別講演「フレーゲの「意義」とダメットの「意義」」
2006年科学基礎論学会:ワークショップ「直観主義の哲学」:提題「ブラウワー哲学再考」
2004年「フレーゲ『算術の基礎』」『現代思想』9月臨時増刊(青土社)
2003年「社会科学と数学の応用可能性」 司会と提題――進化経済学会、専修大学
2003年Sapporo Workshop On Language、 Action and Cognition 題目「Mental Construction」北海道大学
2002年書評:Dirk van Dalen, Mystic, Geometer, and Intuitionist: The Life of L. E. J. Brouwer(Oxford U.P. 1999) Annals of the Japan Association for Philosophy of Science, Vol.11, No.1
2002年「「ラッセルのパラドックス100年(1)」ワークショップの司会」日本科学哲学会、新潟大学
2001年「フレーゲ「数学と数学的自然科学の認識源泉」他2編」『フレーゲ著作集5』勁草書房
2000年「分析哲学における歴史的研究――論理学・数学の哲学と分析哲学の起源」日本哲学会
1998年「数学の哲学の現在」日本科学哲学会(ワークショップ)
1995年「リーディングス『数学の哲学』第Ⅱ部への道案内」勁草書房
1994年「無限と心-哲学の立場から」専修大学夏季公開講座
1994年ポール・ファイヤアーベント『理性よさらば』 植木哲也訳 法政大学出版局『哲学』第30号 北海道大学哲学会
1992年「うそつきのパラドックスとモデル論的意味論」専修大学哲学会
1991年「ダメットの意味の理論について」91’哲学フォーラム(名古屋南山大学)
1989年「コンピュータは論理を変えたか」日本科学哲学会
1988年直観主義タイプ理論の意味論的背景――北海道大学哲学会研究発表会
1986年直観主義理論の解釈の問題――科学基礎論学会
1985年意味と証明-直観主義理論の解釈と自然演繹――北海道大学哲学会研究発表会
1982年直観主義における「構成」の概念について――北海道大学哲学会研究発表会 文学部

ゼミ紹介

 
ディヴィドソンの哲学 - 言語コミュニケーション・合理性
『哲学探究』を読みながら,ウィトゲンシュタインの言語哲学を考えていく。また,ラッセルやフレーゲの影響にも配慮しながら,テキストを読み進める。また,このテキストをもとに他の哲学者たちが考え出した議論についても,いくつかを検討する。
学生の声


金子ゼミは、ウィトゲンシュタインやフレーゲの著作を通して、論理やことばについて考えるゼミです。なぜ論理は正しいのか?何によって正しいのか。丸であり四角のものはなぜ考えることができないのか。論理について考えることは一筋縄ではいきません。論理が正しいのは、そういうことになっているからです。論理が正しいことになっているからこそ、世界があるのです。しかも、厄介なのは、論理やことばについて考える時に、私たちは論理やことばを使って考えなければいけないことです。論理を使って論理を解き明かそうというのは、もう、はじめから勝ち目がない気がします。だからゼミ中に頭がぐるぐるします。こんな一見無駄なことに全力で考える我らがメンバーは本当にかっこいいと思います。だけど、世界は論理とことばで出来ているので、こんなに考えて楽しいテーマはないです。
金子先生は、懐の深い、とてもかっこよい先生です。たまに何を考えておられるのかは分かりませんが、ゼミ生は、金子先生の人柄から、上のような思考の泥沼に突っ込んでいく勇気をもらえます。でも甘えすぎに注意ですよ♪
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メッセージ

哲学は昔から役に立たないと言われてきました。私も以前は、役に立たなくて当然、結構、と思っていました。最近、そうではなくて、実はものすごく役に立つんではないかと考えるようになってきました。もちろんそれは、やれば儲かるとかそういうことではないのですが(儲かりません)。

第一に、はっきりとした疑問を提起できるようになります。誰かの話を聞いて、何かおかしいと感ずることはあっても、その疑問をはっきりと口に出して言うのはむずかしい、こういう体験は誰にでもあると思います。自分の疑問をちゃんと表明するのはとてもむずかしいのです。それをスムーズにできるようになるには、本当は訓練が必要なのです。私のゼミでは、疑問の定式化(きちんとした形で表明すること)を一つの課題にしています。どんな事柄でもそうですが、実は答えを考えるよりも、よい問題・質問を考える方がよほどむずかしいという場面があります。よい疑問を発することができれば、理解は格段に進むのです。哲学をやることは、いつでもこういう作業を繰り返すことにほかなりません。その意味で、もやもやした疑問にはっきりとした形を与える練習に哲学はうってつけだと思います。

二つ目は、他人の言いたいことを理解するのがいかに困難か、ということを理解できるようになる点です。なにせ自分とは異なる観点や考え、あるいは自分にはまったく思いつきもしなかったアイデアをテキストから読み取っていかなくてはなりません。これは結構な困難を伴います。しかし、あるとき突然、相手の言いたいことがすっきりと焦点を結ぶことがある。相手の言う様々なことが有機的にすべてつながって見えてくるのです。こういう体験をすれば、他人の言うことをいつでもきっちり理解しているなどと思うのは、幻想だということがわかります。この幻想が、いかに多くのトラブルを引き起こしていることか。

こんな風に考えれば、哲学そのものではないしても、哲学をやるという作業が私たちに有効な武器をもたらしてくれる、というのはそれほどおかしなことではないように思われます。

大学院

 
哲学方法論特講
論理学研究…現代の言語哲学や数学の哲学を学んでいくのに不可欠な論理学の技法を身につけることを目標として、証明論の基礎、集合論、計算論などについてある程度立ち入って学習する。まったくの初心者でも受講は可能だが、学部の論理学概論または論理学を事前に修得していることが望ましい。授業の形態は、講義と演習が半ばするものとなる。
 
哲学方法論特講演習
G. Evans The Varieties of Referenceを読む。
通常の文献講読の形ですすめるが、途中、レポートの報告などを挿入する。
 
哲学方法論特殊研究
履修者のテーマに応じた文献購読を行う。本年度は、

Jose Ferreiros, Mathematical Knowledge and the Interplay of Practices, Princeton Univ Pr. 2015.

を予定しているが、最終的には出席者と相談の上決定する。
参考文献は授業の中で指示する。
 
哲学方法論特殊研究演習
履修者のテーマに応じて、文献購読及び論文指導を行う。