教授・檜垣 立哉

【文学部】哲学科_檜垣
近現代思想から日本哲学、ポストヒューマンの思想まで。現代を考え、生き抜いていく哲学のあり方を真正面から考える。
檜垣 立哉
教授



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教員データ

氏名・職位   檜垣 立哉(HIGAKI TATSUYA) 教授
文学部開講科目 西洋哲学史(近代)1
西洋哲学史(近代)2
現代思想
ゼミナール1・2・3
卒業論文
大学院開講科目 実践哲学特講
実践哲学特講演習
実践哲学特殊研究
実践哲学特殊研究演習
略歴 1992年 - 1994年 東京大学文学部助手
1994年 - 1996年 埼玉大学講師
1996年 - 2000年 埼玉大学助教授
2000年4月 - 2009年7月 大阪大学大学院人間科学研究科助教授・准教授
2009年8月 - 2023年3月 大阪大学 人間科学研究科 教授
2023年4月 - 現在 大阪大学 名誉教授
2023年4月 - 現在 専修大学 文学部 哲学科 教授
専門分野 現代思想/日本哲学
研究キーワード 生命、身体、テクノロジー、ベルクソン、メルロ=ポンティ、現代フランス哲学、ドゥルーズ、京都学派、西田幾多郎
所属学会 日仏哲学会、日本哲学会、日本記号学会、哲学会、西田哲学会、実存思想協会、社会芸術学会、専修大学哲学会

主要業績

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単行本(単著)
2000年『ベルクソンの哲学 生成する実在の肯定』勁草書房
2002年『ドゥルーズ 解けない問いを生きる』NHK出版
2005年『西田幾多郎の生命哲学』講談社
2006年『生と権力の哲学』筑摩書房
2008年『賭博/偶然の哲学』河出書房新社
2009年『ドゥルーズ入門』筑摩書房
2010年『フーコー講義』河出書房新社
2010年『瞬間と永遠 ジル・ドゥルーズの時間論』岩波書店
2011年『西田幾多郎の生命哲学』(講談社学術文庫版)講談社
2012年『ヴィータ・テクニカ 生命と技術の哲学』青土社
2012年『子供の哲学 生まれるものとしての身体』講談社
2014年『哲学者、競馬場へ行く』青土社
2015年『日本哲学原論序説 拡散する京都学派』人文書院
2018年『食べることの哲学』世界思想社
2019年『ドゥルーズ 解けない問いを生きる 増補新版』(ちくま学芸文庫版)筑摩書房
2022年『ベルクソンの哲学 生成する実在の肯定』(講談社学術文庫版)講談社
2022年『バロックの哲学 反-理性の星座たち』岩波書店
2022年『近代日本思想論 技術・科学・生命』青土社
2023年『生命と身体 フランス哲学論集』勁草書房
2023年『哲学者がみた日本競馬』教育評論社
 
【単著】(海外翻訳)
2020年 Nishida Kitaro’s Philosophy of Life, Mimesis International, 
2021年『瞬間と永遠』韓国語版(翻訳者李奎遠)、Greenbee Publishing House Co. 
単行本(共著・編著・論文集・事典など)
【編著】
2006年 『生命と現実 木村敏との対話』河出書房新社
2008年『ドゥルーズ/ガタリの現在』平凡社
2010年『哲学という地図 松永哲学を読む』勁草書房
2011年『生権力の現在 フーコーから現代を読む』勁草書房
2012年『生命と倫理の原理論:バイオサイエンスの時代における人間の未来』大阪大学出版会
2013年『ロボット・身体・テクノロジー』大阪大学出版会
2015年『バイオサイエンス時代から考える人間の未来』勁草書房
2019年『ドゥルーズの21世紀』河出書房新社
2019年『よくわかる哲学・思想』ミネルヴァ書房
2022年『住む・棲む』大阪大学出版会
2022年『構造と自然』勁草書房
2022年『ベルクソン思想の現在』書肆侃々房

【事典】
1999年 小林道夫, 小林康夫, 坂部恵, 松永澄夫『フランス哲学・思想事典』弘文堂, 「ヴァーレンス」「ミンコフスキー」p.543, p.611.
2012年 「イリア」「エピステーメー」「エポケー」「オートポイエーシス」「顔」「器官なき身体/リゾーム」「鏡像段階/排除」「現存在」「行為的直観/絶対矛盾的自己同一」「構造」「差延」「自己触発」「純粋経験」「生―権力」「生の跳躍」「脱構築」「直観/持続」「テクスト」「複雑系」「無意識/タナトス」「問題/理念」大澤真幸, 吉見俊哉, 鷲田清一『現代社会学事典』, 弘文堂, pp.12-13, pp18-19, pp.20-21, pp.22-23, pp.30-31, pp.60-61, pp.76-77, pp.102-103, pp.104-105, pp.106-107, pp.116-117, pp.124-125, pp.138-139, pp.156-157, pp.162-163, pp.172-173, pp.180-181, pp.184-185, pp.214-215, pp.230-231, pp.234-235.
 2017年「監視社会と生権力」, 『社会学理論応用事典』丸善出版, pp.72-77.
翻訳
【書籍翻訳】
ジャン・リュック・マリオン(1994年)『現象学と形而上学』檜垣立哉, 三上真司, 重永哲也(訳編), 法政大学出版局
ハーマン・ラパポート(2003年) 港道隆, 後藤博和, 加藤恵介, 檜垣立哉訳『ハイデッガーとデリダ:時間と脱構築についての考察』法政大学出版局
レオ・ベルサー(2012年)『親密性』檜垣立哉, 宮沢由歌訳, 洛北出版
ニコラス・ローズ(2014年)『生そのものの政治学:二十一世紀の生物医学、権力、主体性』檜垣立哉(監訳), 法政大学出版局
エドゥアルド・ヴィヴェイロス・デ カストロ(2015年)『食人の形而上学:ポスト構造主義的人類学への道』檜垣立哉, 山崎吾郎訳, 洛北出版
ジル・ドゥルーズ(2017年) 『ベルクソニズム』檜垣立哉,小林卓也訳, 法政大学出版局 
エリザベス・グロス(2020年)『カオス・領土・テリトリー:ドゥルーズと大地のフレーミング』檜垣立哉(監訳), 法政大学出版局​
論文(雑誌・紀要・研究成果報告書など)
1991年「沈黙のコギトと他者」『論集』, 4, 東京大学文学部哲学研究室, pp.163-175.
1991年「メルロ=ポンティにおける身体の知覚経験について」『言語と現実 哲学雑誌』, 106, 哲学会, pp.195-211.
1992年「<沈黙のコギト>についての詩論 メルロ=ポンティにおける主体性の問題」『哲学』, 42, 日本哲学会, pp.217-227.
1992年「<他>を把握する一つの仕方 九鬼実存哲学に関する一考察」『実存と宗教 実存思想論集』, 7, 以文社, pp.157-173.
1993年「多様体としての生命 ベルグソンのエラン・ヴィタル概念を巡って」『文化』, 16, 駒沢大学文学部文化学教室, pp.113-136.
1993年「変化の語り方についてのベルグソン的思考」『論集』, 11, 東京大学文学部哲学研究室pp.92-113.
1994年「鏡像段階論」『論集』, 12, 東京大学文学部哲学研究室, pp.49-76.
1994年「ホモ・ロクエンスとしての人間的主体性に関するノート」『存在論と言語の交錯の試み』平成4−5年度科研費成果報告書東京大学文学部
1995年「持続という存在・自我という機能」『埼玉大学紀要(人文科学編)』, 43, 埼玉大学教養学部, pp.1-27.
1996年「<異境>としての<無意識>」『埼玉大学紀要 埼玉大学教養学部』, 31(2), 埼玉大学教養学部, pp.1-40.
1996年「<現実的なもの>の位置 ラカン的思考の可能性の中心」『埼玉大学紀要 埼玉大学教養学部』, 32(1), 埼玉大学教養学部, pp.1-24.
1997年「<ことば>は何処にあるのか <記号>の存立位置に関する試論」『行為における言語的要素と非言語的要素との関係 平成7−8年度科研費研究報告書・東京大学文学部』東京大学, pp.69-84.
1998年「<外部>であることの意味 E. レヴィナスにおける<イリア>の概念を中心に」『埼玉大学紀要 埼玉大学教養学部』, 34(1), 埼玉大学教養学部, pp.1-16.
1999年「他に晒されてある<私> E. レヴィナスにおける異他触発的主観性を巡って」『埼玉大学紀要 埼玉大学教養学部』, 34(2), 埼玉大学教養学部, pp.1-27.
2000年「ユートピアを封じること フーコーのアクチュアリティ」『哲学雑誌』, 115(787), 哲学会, pp.94-111.
2000年「<私>を語るいくつかの現象学的仕方について <触発>の議論を中心に」『現象学年報』, 16, 日本現象学会, pp.47-63.
2001年「フーコーのエノンセについて 砂漠の言語論に向けて」『大阪大学大学院人間科学研究科紀要』, 27, 大阪大学大学院人間科学研究科, pp.41-61.
2001年「ベルグソンとドゥルーズ 生の哲学の帰趨」『フランス哲学・思想研究』, 6, 日仏哲学会, pp.33-49.
2002年「思想としての生命論」『哲学』, 53, 日本哲学会, pp.33-46.
2002年「「差異」の差異 ドゥルーズとデリダ」『大阪大学大学院人間科学研究科紀要』, 28, 大阪大学大学院人間科学研究科, pp.81-93.
2003年「西田幾多郎の数理哲学」『数理科学』, 41(8), サイエンス社, pp.78-83.
2004年「生の哲学から生命論への展望」『生命科学・生命技術の進展に対応した理論と倫理と科学技術社会論の開発研究 平成15−17年度科研費研究報告書』, 立命館大学, pp.67-70.
2005年「『意味の論理学』における静的発生と動的発生について (1) 」『年報人間科学』, 26, 大阪大学大学院人間科学研究科, pp.133-154.
2005年「ドゥルーズ的政治学とは何か 何であるべきか」『河出道の手帳 ドゥルーズ』, 河出書房新社, pp.126-129.
2006年「顔の彼方の生(レヴィナス――ヘブライズムとヘレニズム)」『哲学雑誌』, 121(793), 哲学会, pp.81-99.
2006年「<生の哲学>における身体・空間論の展開」『年報人間科学』, 27, 大阪大学大学院人間科学研究科, pp.1-14.
2006年「ドゥルーズとメルロ=ポンティ」『メルロ=ポンティ研究』, 10, メルロ=ポンティ・サークル, pp.19-32.
2006年「身体の何が構築されるのか バトラー的構築主義への一考察」『現代思想』, 34(12), 青土社, pp.108-115.
2007年「第三の時間について ドゥルーズの時間論(1)」『思想 』, 994, 岩波書店, pp.4-20.
2007年「曖昧さの新たな倫理へ」『インターフェイスの人文学 研究報告書岐路に立つ人文学』, 大阪大学21世紀COEプログラム「インターフェイスの人文学」, pp.169-182.
2007年「永遠の現在 ドゥルーズの時間論(2)」『思想』, 998, 岩波書店, pp.92-105.
2007年「生殖と他者 レヴィナスを巡って」『実存思想論集』, 22, 理想社, pp.29-50.
2007年「西田幾多郎と生の哲学」『西田哲学会年報』, 4, 西田哲学会, pp.39-54.
2008年「見者(ヴォワイヤン)の時間」『思想』, 1009, 岩波書店, pp.149-165.
2008年「細胞の自己 細胞の他者」『現代思想』, 36(8), 青土社, pp.194-207.
2008年「パラドックスとユーモアの哲学」『現代思想』, 36(15), 青土社, pp.176-185.
2008年「生命と微分 西田と九鬼を巡るひとつの考察」『日本の哲学』, 9, 昭和堂, pp.37-51.
2009年「大正生命主義と生政治(2009年シンポジウム フランス哲学の日本への受容:フランス的<生の哲学>と対象生命主義をめぐって)」『フランス哲学・思想研究 』, 14, 日仏哲学会, pp.75-84.
2009年「生成の歴史」『思想』, 1019, 岩波書店, pp.176-192.
2009年「賽の一振り 無限を含んだ事故が跳躍する時」『談』, 84, 水曜社, pp.51-68.
2009年「生権力とセクシュアリティー」『コンフリクトの人文学』, 1, 大阪大学出版会, pp.123-133.
2009年 Le <tournant> dans l'interpretation deleuzienne de Bergson, Philosophia OSAKA 4, Osaka University, pp.47-54.
2009年「浮遊する個体 ドゥルーズ『死後反復』第五章読解(総特集 ダーウィン――『種の起源』の系統樹)」『現代思想』, 37(5), 青土社, pp.250-259.
2009年「ヴィータ・テクニカ哲学への序章(連載ヴィータ・テクニカ第1回)」『現代思想』, 37(13), 青土社, pp.8-17.
2009年「断片の歴史/歴史の断片 ドゥルーズの時間論(5)」『思想』, 1026, 岩波書店, pp.142-157.
2009年「生態学的転回(エコロジカル・ターン)について前(連載 ヴィータ・テクニカ第2回)」『現代思想』, 37(14), 青土社, pp.8-17.
2009年「生態学的転回(エコロジカル・ターン)について中(連載 ヴィータ・テクニカ第3回」『現代思想』, 37(15), 青土社, pp.8-18.
2009年「記憶の実在 ベルクソンとベンヤミン」『思想』, 1028, 岩波書店, pp.60-77.
2010年「生態学的転回(エコロジカル・ターン)について後(連載 ヴィータ・テクニカ第4回」『現代思想』, 38(1), 青土社, pp.34-44.
2010年「生命における主体/生態における視点 前(連載 ヴィータ・テクニカ第5回」『現代思想』, 38(2), 青土社, pp.8-19.
2010年「生命における主体/生態における視点 中(連載 ヴィータ・テクニカ第6回」『現代思想』, 38(3), 青土社, pp.8-17.
2010年 L'exsitence de la memoire. Henri Bergson et Walter Benjamin , Philosophia OSAKA, 4, Osaka University, pp.41-52.
2010年「生命における主体/生態における視点 後 ドーキンスと遺伝子の自己(連載ヴィータ・テクニカ第7回)」『現代思想』, 38(5), 青土社, pp.8-19.
2010年「確立・環境・自己 前(連載ヴィータ・テクニカ第8回)」『現代思想』, 38(7), 青土社, pp.8-17.
2010年「大正生命主義と生政治」『フランス・哲学思想研究』, 14, 日仏哲学会, pp.75-84.
2010年「人口・環境・主体 中 統治の主体としての人口(連載ヴィータ・テクニカ第9回)」『現代思想』, 38(8), 青土社, pp.18-29.
2010年「確率・環境・自己 下 人口論から自己論へ(連載ヴィータ・テクニカ第10回」『現代思想』, 38(9), 青土社, pp.17-27.
2010年「テクネーとしての自己 上 告白/牧人司祭権力の両義性(連載ヴィータ・テクニカ第11回)」『現代思想』, 38(10), 青土社, pp.34-46.
2010年「テクネーとしての自己 中 パレーシアとしてのテクネー(連載ヴィータ・テクニカ第12回」『現代思想』, 38(11), 青土社, pp.28-38.
2010年「テクネーとしての自己 下 フーコーのテクネー論・未来のテクネー論(連載ヴィータ・テクニカ第13回)」『現代思想』, 38(13), 青土社, pp.16-27.
2010年「ゲシュテルとパノプチコン上 ハイデガーの技術論(連載ヴィータ・テクニカ第14回)」『現代思想』, 38(14), 青土社, pp.20-32.
2011年「ゲシュテルとパノプチコン 中 テクネーの主体とは誰か(連載ヴィータ・テクニカ第15回)」『現代思想』, 39(11), 青土社, pp.26-36.
2011年「ゲシュテルとパノプチコン 下 技術の主体の微分化に向けて(連載ヴィータ・テクニカ第16回)」『現代思想』, 39(2), 青土社, pp.20-30.
2011年「マイナーテクノロジーとメタリック生命体 上 国家の外のテクネー(連載ヴィータ・テクニカ第17回」『現代思想』, 39(3), 青土社, pp.28-38.
2011年「マイナーテクノロジーとメタリック生命体 中(連載ヴィータ・テクニカ第18回)」『現代思想』, 39(5), 青土社, pp.20-32.
2011年「マイナーテクノロジーとメタリック生命体 下(連載ヴィータ・テクニカ第19回)」『現代思想』, 39(8), 青土社, pp.20-32.
2011年「自然は乱暴であるにきまっている」『思想としての3・11』, 河出書房新社, pp.131-140.
2011年「偶然性の日本文化」『理』, 27, 関西学院大学出版会pp.2-3.
2011年「ヴィータ・テクニカ問題集 上(連載ヴィータ・テクニカ第20回)」『現代思想』, 39(10), 青土社, pp.8-17.
2011年「ヴィータ・テクニカ問題集 中(連載ヴィータ・テクニカ第21回)」『現代思想』, 38(11), 青土社, pp.26-36.
2011年「ヴィータ・テクニカ問題集 下(連載ヴィータ・テクニカ最終回)」『現代思想』, 39(13), 青土社, pp.17-27.
2011年「ドゥルーズにおけるヒューム 経験の超出と想像力=構想力の役割」『思想』, 1052, 岩波書店, pp.181-194.
2012年「「種の論理」における「種」とは何か」『思想』, 1053, 岩波書店, pp.246-260.
2012年「逆向き幽霊としての子供」『現代思想』, 40(3), 青土社, pp.147-157.
2012 Shizen ha ranbou de aruni kimatteiru(korean)  , SHISO TO SHITENO 3.11, 그린비, pp.184-194.
2012年「単独的なものの様相 偶然性・一回性・反復性」『哲学』, 63, 日本哲学会, pp.115-130.
2012年「和辻哲郎の『風土』再考」『世界思想』, 39, 世界思想社, pp.17-20.
2012年「吉本「体験」の多様性」『現代誌手帳』, 5, 思潮社, pp.118-133.
2012年「判定の思想を巡って」『叢書セミオトポス』, 7, 新曜社, pp.18-49.
2012年 「吉本隆明におけるテクノロジーと生」『さよなら吉本隆明』, 河出書房新社, pp.148-155.
2012年「ドゥルーズにおけるヒューム<増補版>」『アルケー』, 20, 京都大学学術出版会, pp.27-41.
2012年「吉本隆明と自然死 マルクス・ランボー・宮沢賢治(総特集 吉本隆明の思想)」『現代思想』, 40(8), 青土社, pp.112-121.
2012年「和辻哲郎の二人共同体について」『思想』, 岩波書店, 1061, pp.28-42.
2012年「日本哲学のなかの坂部恵」『フランス哲学・思想研究』, 17, 日仏哲学会, pp.11-20.
2012年「日本哲学史のなかの廣松渉」『思想』, 1064, 岩波書店, pp.74-90.
2013年「人間と動物の閾 ジョルジョ・アガンベンにおける生の概念」『思想』, 1066, 岩波書店, pp.150-168.
2013年e problème de la technologie chez Bergson : Qu’est-ce que la technè de la vie ?  , Annales bergsoniennes 6, Presses universitaires de France, pp.263-274.
2013年「バロックの哲学 序章」『思想』, 1070, 岩波書店, pp.49-66.
2014年「バロックの哲学 2 ジル・ドゥルーズにおけるバロック」『思想』, 1077, 岩波書店, pp.49-66.
2014年 Deleuze and Kuki , Deleuze Studies, 8(1), Edinburgh University Press, pp.94-110.
2014年「バロックの哲学 第三章 オルテガ・スペインバロックの光芒」『思想』, 1079, 岩波書店, pp.72-88.
2014年「動物と人間のあいだ 哲学的視点から」『生産と技術』, 66(3), 大阪大学生産技術研究会, pp.115-117.
2014年「デリダの生命/動物論」『フランス哲学・思想研究』, 19, 日仏哲学会, pp.53-64.
2014年「田邊とマラルメ 日本哲学とフランス思想の一接点(特集 フランス哲学と日本の哲学)」『日本の哲学』, 15, 昭和堂, pp.64-80.
2015年Théorie de la technologie chez Kiyoshi MIKI, 『国際日本学研究叢書』22, 法政大学国際日本学研究所, pp.215-241.
2015年「バロックの哲学 第四章 ベンヤミン・アレゴリー論の拡がり」『思想』, 1091, 岩波書店, pp.117-134.
2015年「他者はどこにいるのか ドゥルーズにおける強度と精神と自然」『現代思想』, 43(9), 青土社, pp.136-142.
2015年「バロックの哲学 第五章 ホワイトヘッドバロック」『思想』, 1094, 岩波書店, pp.75-94.
2016年Tetsuro Watsuji's Theory of Betweenness, with Focus on Two
Person Community, Canadian Journal of Communication, 41(3), Canadian Journal of Communication, pp.455-467.
2016年「木村敏と中井久夫 臨床とイントラ・フェストゥム(特集 木村敏)」『現代思想』, 44(20), 青土社, pp.265-277.
2016年「『長い道』から『夕凪の街 桜の国』へ こうの史代試論」『ユリイカ』, 48(16), 青土社, pp.122-131.
2016年「偶然性と永遠の今 現在性をめぐる九鬼と西田」『現代思想』, 44(23), 青土社, pp.132-147.
2017年「吉本隆明・記紀書・南島論」『現代思想』, 45(2), 青土社, pp.103-115.
2017年「九鬼とレヴィ=ストロース 二つの構造論的感性論」『理想』, 698, 理想社pp.92-103.
2016年 What is Minority, who are the Minor People, Journal of Criticism and Theory, 22(1), 한국비평이론학회, pp.237-252.
2017年「欲動について ドゥルーズの<欲動イマージュ>を手がかりに」『メルロ=ポンティ研究』, 21, メルロ=ポンティ・サークル, pp.85-98.
2017年「西田とバロック哲学」『日本哲学史研究』, 14, 京都大学大学院文学研究科日本哲学史研究室, pp.84-99.
2017年「ヴィヴェイロス・デ・カストロにおけるドゥルーズ=ガタリ」『思想』, 1124, 岩波書店, pp.6-14.
2018年「後期資本主義のなかの哲学 中野幹隆とその時代(1)」『多様体』, 1(1), 月曜社, pp.321-332.
2018年Les deux sources dans le Begsonisme de DeleuzeMécanique et mystique: Sur le quatrième chapitre des Deux sources de la morale et de la religion de Bergson. (Europaea Memoria - Reihe I / Studien), Georg Olms Verlag, pp.55-64.
2018年 Japan as Thousand Plateaus, Deleuze and Guattari Studies, 12(2), Edinburgh University Press, pp.240-251.
2019年「フーコーの人口論再考」『思想』, 1141, 岩波書店, pp.85-96.
2019年「思想の言葉 生殖・子どもの哲学」『思想』, 1141, 岩波書店, pp.2-7.
2019年「フーコーの人口論再考」『思想』, 1141, 岩波書店, pp.85-96.
2019年De la métallurgie au cyborg, Agencer les multiplicités avec Deleuze, Hermann, pp.153-162.
2020年「宮沢賢治と食 「ビヂテリアン大祭」について」『文化の基礎としての食』, 京都工芸繊維大学, pp.57 69.
2020年「西田幾多郎のバロック」『思想』, 1150, 岩波書店, pp.57-72.
2020年「ジェイムズの「モザイク」哲学」『思想』, 岩波書店, 1154, pp.141-156.
2020年「食べないことの哲学 ラフスケッチ」『叢書セミオトポス』, 15, 新曜社, pp.20-35.
2020年「相米慎二試論(1) 最初期作品から80年代まで」『社藝堂』, 7, 社会芸術学会, pp.51-68.
2020年「九鬼周造の文学論」『思想』, 1158, 岩波書店, pp.111-124.
2020年「狂気を描くひと 中井久夫によせて」『哲学雑誌』, 134(807), 哲学会, pp.50-69.
2020年「中野幹隆とその時代 第二回 吉本隆明の八〇年代」『多様体』, 3, 月曜社, pp.253-270.
2021年「パースという多面体」『思想』, 1162, 岩波書店, pp.135-151.
2021年「生物学主義と哲学 生き物を巡るハイデガーとデリダ(およびアガンベン)」『Heidegger-Forum』, 15, ハイデガー研究会, pp.33-46.
2021年「食べることの自然 レヴィ=ストロース『神話論理』瞥見」『季報 唯物論研究』, 155, 季報『唯物論研究』刊行会, pp.92-103.
2021年「リオタール『ポスト・モダンの条件』再読」『現代思想』, 49(7), 青土社, pp.32-42.
2021年「相米慎二試論(2) 1985年の相米慎二」『社藝堂』, 8, 社会芸術学会pp.31-50.
2021年「神話のバロック」『思想』, 1170, 岩波書店, pp.122-139.
2021年「中野幹隆とその時代 第3回 生命の思想とその展開へ」『多様体』, 4, 月曜社, pp.165-177.
2021年「大森荘蔵と西田幾多郎と身体をめぐって」『現代思想』, 49(15), 青土社, pp.115-126.
2022年「『サバルタンは語ることが出来るか』を読み直すために 共生のフィロソフィーの視点から」『共生学ジャーナル』, 6, 大阪大学大学院人間科学研究科, pp.1-22.
2022年「破局とコンヴィヴィアリティ」『思想』, 1176, 岩波書店, pp.6-24.
2022年「生物学とフェミニズム 二一世紀思想からフレンチ・フェミニズムの流れをとらえなおす」『福音と世界』, 77(6), 新教出版社, pp.30-35.
2022年「相米慎二試論(3) 1990年代の相米慎二」『社藝堂』, 9, 社会芸術学会pp.35-54.
2022年「予兆を制する予兆 中井久夫と臨床について」『現代思想』, 50(15), 青土社, pp.76-86.
2023年「投資と賭博と資本主義」『現代思想』, 51(2), 青土社, pp.184-192.
2023年「媒介子・フラット・ポストモダン ラトゥールとフランス哲学」『現代思想』, 51(3), 青土社, pp.39-52.
2023年「スピヴァクにおける読解の「二重性」という戦略について
―デリダのマラルメ、フロイトの古層―」『共生学ジャーナル』, (7) 27-46 大阪大学大学院人間科学研究科
2023年「はじまりの鷲田清一 臨床哲学批判」『現代思想』青土社51(5) 279-296.
2023年「インターセクションリティと動物論」『情況』、状況出版6-1(2) 75-87
その他(学会発表・講演・座談会・インタビュー・書評・エッセイなど)
(書評)
2000年「生命の強度 来るべき哲学のために」『「私」はなぜ存在するか』多田富雄・中村桂子・養老孟司 哲学文庫版』, 岩波書店, pp.242-250.
2001年「書評 小泉義之著『ドゥルーズの哲学--生命・自然・未来のために』 」『フランス哲学・思想研究』, 6, pp.245-251.
2003年「ルネ・シュレール『ドゥルーズへのまなざし』 」『週刊読書人』, 2506, 読書人, p. 3.
2005年「廣瀬純『美味しい料理の哲学』 」『週刊読書人』, 2617, 読書人, p. 2006年「江川隆男『死の哲学』 」『図書新聞』, 2761, 図書新聞, p. 3.
2007年「ジル・ドゥルーズ 『シネマ2』 」『週刊読書人』, 2669, 読書人, p.6.
2007年「守永直幹著『未知なるものへの生成』 」『フランス哲学・思想研究』, 12, 日仏哲学会, pp.210-212.
2007年「そもそもフーコーはどう使えるというのか 」『図書新聞』, 2843, 図書新聞, p.1.
2008年「二人で書くことの実践をさらに何度も二重化させていくこと 」『図書新聞』, 2888, 図書新聞, p.2.
2008年「書評 萱野稔人『権力の読み方』 」『フランス哲学・思想研究』, 13, 日仏哲学会, pp.162-165.
2009年「石井敏夫著『ベルクソン化の極北』 」『実存思想論集』, 24, 実存12 思想教会, pp.185-188.
2009年「フランソワ・ドス著『ドゥルーズとガタリ 交差的評伝』 」『週刊読書人』, 2808, 読書人, p.4.
2010年「後期フーコーの権力論とネオリベラリズムの問い 佐藤嘉幸『新自由主義と権力』書評 」『週間読書人』, 2824, 読書人, p.4.
2010年「ヴァイツゼカー『パトゾフィー』書評 」『週刊読書人』, 2834, 読書人, p.4.
2010年「言葉を紡ぎつづける「根無し草」としての生 金森修『<生政治>の哲学』書評 」『図書新聞』, 読書人, 2981, p.5.
2011年「現実的なるものとしての生 」『図書新聞』, 図書新聞, 3016, p.5.
2011年「金森修『<生政治>の哲学』書評 」『フランス哲学・思想研究』, 16, 日仏哲学会, pp.137-141.
2012年「市田良彦『革命論』 」『週刊読書人』, 2936, 読書人, p.4.
2012年「手塚博 『ミシェル・フーコー』書評 」『フランス哲学・思想研究』, 17, 日仏哲学会, pp.224-228.
2013年「澤田哲生著 『メルロ=ポンティと病理の現象学』 」『フランス哲学・思想研究』, 18, 日仏哲学会, pp.222-226.
2013年「ユートピア的身体/ヘテロとピア 書評 」『図書新聞』, 3128, 図書新聞, p.3.
2014年「ノマドは動かないのではないか 『動きすぎてはいけない』千葉雅也書評 」『文學界』, 68, 文藝春秋, pp.294-295.
2014年「ドゥルーズにおけるヒューム主義について 書評 千葉雅也 」『思想』, 1079, 岩波書店, pp.155-162.
2017年「書評『共にあることの哲学』岩野卓司編 」『フランス哲学・思想研究 』, 22, 日仏哲学会, pp.321-324.
2020年「ドミニク・レステル『肉食の哲学』書評」『図書新聞』, 2468, 図書新聞, p.4.
2022年「浮かび上がる「見えなくさせていく現代社会」という問い『ウンコの教室』湯澤規子著 書評」『ちくま』, 618, 筑摩書房, pp.20-21.
2022年「書評 中真生『生殖する人間の哲学「母性」と血縁を問いなおす』」『フランス哲学・思想研究』, 27, 日仏哲学会, pp.257-259.
2022 年回顧「哲学」週刊読書人 (3470) 8.

(エッセイ等)
2003年「言葉を生きる 読売新聞コラム(五回分) 」『読売新聞夕刊』, 5月10日, 5月17日, 5月24日, 5月31日, 6月7日.
2005年「『ハロー、ドゥルーズ!』を読む 」『東北ドイツ文学研究』, 48, 東北ドイツ文学会, pp.175-176.
2006年「読書日録 」『週刊読書人』, 2629, 読書人, pp.40-43.
2006年「「人間」が解体される場所 」『ちくま』, 423, 筑摩書房, pp.14-15.
2009年「おもひでの名勝負 宝塚記念 」『週刊競馬ブック 宝塚記念号』, 宝島社, pp.86-87.
2009年「競馬のエクリチュール 」『文藝別冊 寺山修司の時代』, 河出書房新社, pp.210-213.
2010年「日常の重さと軽さ やまだ紫について 」『現代詩手帳 』, 53(3), 思潮社, pp.72-73.
2010年「オグリキャップ 走る意志について 」『週刊競馬ブック』, 2590, ケイバブック, pp.196-197.
2010年「カイロスに遊ぶ 楽しみの源流 」『Tasc Monthly』, 417, たばこ総合研究センター, pp.8-13.
2010年「賭博哲学 第一回 勝つ経験/負ける経験」『UMAJIN』, 19, UMAJIN, pp.142-143.
2010年「賭博哲学 第二回 競馬の記憶/記憶の競馬」『UMAJIN』, 20, UMAJIN, pp.126-127.
2011年「賭博哲学 第三回 お金について1」『UMAJIN』, 21, UMAJIN, pp.126-127.
2011年「賭博哲学 第四回 お金とは何か2」『UMAJIN』, 22, UMAJIN, pp.94-95.
2011年「賭博哲学 第五回 父と子」『UMAJIN』, 23, UMAJIN, pp.80-81.
2011年「賭博哲学 第六回 母と娘」『UMAJIN』, 24, UMAJIN, pp.94-95.
2011年「賭博哲学 最終回 ダービー馬の孤独」『UMAJIN』, 25, UMAJIN, pp.92-93.
2011年「競馬場の追憶 平成競馬史名勝負編1 第138回天皇賞 」『ROUNDERS』, 1, ラウンダーズ, 74-82.
2011年「競馬場の追憶 平成競馬史名勝負編2第115回天皇賞 」『ROUDERS』, 2, ラウンダーズ, pp.116-119.
2012年「競馬場の追憶 第76回東京優駿 」『Rounders』, 4, ラウンダーズ, pp.106-110.
2013年「書く行為は誰に向けられているのか 」『新潮』, 110(3), 新潮社, pp.192-193.
2013年「身体・地球・宇宙へと広がる、内臓のはるかな記憶──「内臓感覚──遠クテ近イ生ノ声」展レビュー 」『artscape DNP Museum Information Japan』大日本印刷(https://artscape.jp/focus/10088478_1635.html 最終確認:2022年10月20日)  
2014年「ドゥルーズ後期読解の成熟 」『図書新聞』, 図書新聞, 3176, p.1.
2014年「aikoについて 日常の中の愛の巫女 」『群像』, 69(10), 講談社, pp.180-181.
2015年「生命と生活(講演)(OGAKI BIENNALE 2013) 」『Life to life 生活から生命へ、生命から生活へ』, 岐阜おおがきビエンナーレ2013, pp.98-107.
2015年「競馬場で哲学者が考えたこと 」『文藝春秋』, 93(4), 文藝春秋, pp.88-90.
2015年「競馬を哲学する 」『文藝春秋』, 93(3), 文藝春秋, p.53.
2015年「競馬場の光景 」『ぱどっく』, 38(3), 日本中央競馬会, p.1.
2018年「分野別 学問ガイド 人間科学分野 ・人文学そのほか 」『蛍雪時代4月臨時増刊号』, 旺文社, pp.230-232.
2018年「多読こそが必須である」『大阪大学書評対決 ブックコレクション(5月)』Handai Walker編集部.
2020年「フルコースの奇っ怪さ『食べることの哲学』(世界思想社)に寄せて」『TASC Monthly』, 529, たばこ総合研究センター, p.3
2020年「血と塩」『塩とくらいを結ぶ運動公式サイト』塩と暮らしを結ぶ運動推進協議会(https://www.shiotokurashi.com/news/2020/04/24/71136 最終確認:2022年10月20日)
2020年「資本主義から失われているギャンブル性と人間の”生”の可能性」『BRUTASマガジンハウス』, 41(16), マガジンハウス, pp.80-81.

(解説・総記等)
1996年「自他の言語学」『言語』, 25(5), 大修館書店, pp.40-43.
1999年「「睡眠障碍試論 「眠ること」「眠らないこと」「眠れないこと」」『別冊宝島』, 432, 宝島社, pp.200-205.
2002年「ベルクソン」『アエラムック『現代哲学がわかる』』, 朝日新聞社, pp.40-43.
2002年「時間と生命の問い 」『ベルクソン 哲学的直観』中公クラシックス, pp.1-25.
2002年「生きているとはどういうことか」『Computer Today』, 19(6), サイエンス社, pp.58-63.
2003年「笑いの意味・笑いの系譜(ベルクソンとドゥルーズ) 」『臨床精神医学』, 32(8), アークメディア, pp.941-945.
2003年「三つの恋唄 「対幻想」と「世界」 」『現代詩手帖』, 46(10), 思潮社, 142-146.
2003年「ドゥルーズと西田 <内包>的世界への接近」『西田幾多郎全集 月報7(全集第三巻)』, 岩波書店
2004年「名付け得ぬ場所へ 」『現代詩手帖』, 47(8), 思潮社, pp.72-73.
2005年「イマージュ/技術/身体〜ドゥルーズ『シネマ』の問題系〜 」『映像と思想 ヒューマンサイエンスプロジェクト成果報告書 平成14年度および平成17年度』, 大阪大学, pp.7-17.
2005年「映像と思想 」『映像と思想 ヒューマンサイエンスプロジェクト成果報告書 平成14年度および平成17年度』, 大阪大学, pp.3-6.
2008年「物書きの原像 」『哲学の歴史 別巻 哲学と哲学史』, 中央公論新社, p.435.
2008年「アンリ・ベルクソンからジル・ドゥルーズ への手紙」解題 」『現代思想』, 136(15), 青土社, pp.174-175.
2009年「エリー・デューリング 持続と同時性・解題 」『思想』, 1028, 岩波書店, pp.250-252.
2012年「ワークショップ レヴィナス『全体性と無限』とエロスの現象学 : 『全体性と無限』刊行五〇周年を記念して (日本現象学会第33回研究発表大会報告) 」『現象学年報』, 28, 日本現象学会, pp.63-69.
2012年「判定の思想を巡って 対論を終えて 」『叢書セミオトポス』, 7, 新曜社, pp.50-57.
2012年「対論 判定の思想をめぐって 」『叢書セミオトポス』, 7, 新曜社, pp.31-49.
2012年「2012年度春期シンポジウム はじめに 」『フランス哲学・思想研究』, 17, 日仏哲学会, pp.65-66.
2013年「思想の言葉 言語と生命 」『思想』, 1066, pp.3-6.
2013年「今日の生政治学 解題 」『思想』, 1066, 岩波書店, pp.211-213.
2013年「現れつつある生の形式 解題 」『思想』, 1066, 岩波書店, pp.303-306.
2013年 Introduction aux textes de Kitarô Nishida, Annales bergsoniennes, VI , Press Universitaire de France, pp.25-28.
2013年 Introduction aux textes de Shûzo Kuki, Annales bergsoniennes, VI, Press Universitaire de France, pp.43-44.
2016年「アンチ・ナルシスの射程 ヴィヴェイロス・デ・カストロ『食人の形而上学』に寄せて 」『現代思想』, 44(5), 青土社, pp.306-310.
2016年「いま、現代思想と政治を問いなおす 『現代思想と政治』京都大学人文科学研究所レポート(特定質問) 」『週刊読書人』, 3137, 読書人, pp.1-20.
2017年 河野哲也・檜垣立哉・稲原美苗・中真生「男女共同参画・非-常勤研究者支援ワークショップ報告 作者は匿名の主観でありうるか (日本現象学会第38回研究発表大会報告) 」『現象学年報』, 33, 日本現象学会, pp.43-49.
2017年「『生命と現実』の一〇年後」『生命と現実』新装版あとがき 」木村敏・檜垣立哉『生命と現実』, 河出書房新社, pp.216-223.
2017年「岩波文庫創刊90周年アンケート 」『図書 岩波文庫創刊90周年臨時増刊号』, 岩波書店, pp.59-60.
2017年「思想と六八年・思想と現在 」『人文學報』, 110, 京都大學人文科學研究所, pp.366-370.
2017年「思想の言葉 ヴィヴェイロス・デ・カストロ特集号 」『思想』, 1124, 岩波書店, pp.2-5.
2018年「哲学のバロック 大陸哲学 」『現代思想 特集現代思想の316冊 ブックガイド2018』, 46(6), 青土社, pp.8-15.
2018 Forum Introduction: The Theme of the ‘Island’ in Deleuze, Deleuze and Guattari Studies 12(2), Edinburgh University Press, pp.236-239.
2018年「賭博の論理・賭博の現場」『叢書セミオトポス』, 13, 新曜社, pp.14-17.
2020年「吉本隆明『最後の親鸞』〈危機〉の所在をどうみすえるか」『現代思想 臨時増刊号 コロナの時代を生きるための60冊』青土社, 48(11), pp.113-116.
2020年「シンポジウム報告 哲学と狂気」『哲学雑誌』, 134(807), 哲学会, pp.114-117.
2022年「レオ・ベルサーニをめぐって:クィアが「ダーク」であること」『DOZiNE』, DOZiNE (https://hagamag.com/uncategory/11118 最終確認:2022年10月20日)
2023年 「「ゲシュレヒト」をどう読めばいいのか――『哲学のナショナリズム』藤本一勇訳 合評会報告──」『Supplément』2
 
(討議・対談・インタビュー等)
2002年 郡司ペギオ幸夫, 檜垣立哉「生きていることをどう理解するか」『生成する生命』, 哲学書房, pp.237-265.
2003年 小泉義之, 檜垣立哉「いまこそ「生命の哲学」を 」『本』, 28(5), 講談社, pp.12-18.
2005年 小泉義之, 檜垣立哉「西田から「哲学」を再開するために 」『Kawade道の手帳 西田幾多郎』, 河出書房新社, pp.32-46.
2008年「討議 来るべきドゥルーズ 」『現代思想』, 36(15), 青土社, pp.112-125.
2009年「座談会 ベルクソンの過去から未来へ (ベルクソン生誕150年) 」『思想』, 1028, 岩波書店, pp.11-43.
2011年「ドゥルーズ哲学をエピステモロジーとして読む 」『VOL』, 5, 以文社, pp.256-274.
2013年 檜垣立哉・春日直樹・市野川容孝「来たるべき生権力論のために 」『思想』, 1066, pp.150-168.
2013年 郡司ペギオ幸夫・檜垣立哉「郡司ペギオ幸夫との対談(韓国語訳) 」『生命理論』, 그린비, pp.404-430.
2016年 檜垣立哉・北野圭介「ポスト現代思想としての日本哲学 」『現代思想』, 44(1), 青土社, pp.69-81.
2016年 春日直樹・檜垣立哉「新たな<現実>を描く 「静かな革命」以降の人類学と科学・自然・人間 」『現代思想』, 44(5), 青土社, pp.162-176.
2016年 内海健・檜垣立哉「存在、時間、生命 木村敏との対話 」『現代思想 』, 44(20), 青土社, pp.41-63.
2018年 杉本清, 植島啓司, 坂井直樹, 檜垣立哉「競馬実況における「賭け」杉本清・元関西テレビアナウンサーを囲んで」『叢書セミオトポス』, 13, 新曜社, pp.45-61.

【分担執筆】
1994年「第三章〈私〉という特異点」松永澄夫, 村瀬鋼『私というものの成立』勁草書房, pp.159-230.
2006年「ベルクソンとドゥルーズ」久米博, 中田光雄, 安孫子信『ベルクソン読本』法政大学出版局, pp242-252.
2007年「第八章 現代思想の眺望から-フロイト・ラカン・生命」菅野盾樹(編)『レトリック論を学ぶ人のために』世界思想社, pp.194-221.
2007年「Column④ 行動すること/立ち止まること 実践的研究にとっての理論」小泉潤二, 志水宏吉(編)『実践的研究のすすめ―人間科学のリアリティ』, 有斐閣, pp.45-47.
2008年『現代哲学の基礎概念』大阪大学出版会
2008年「ベルクソン」鷲田清一(編)『哲学の歴史 第12巻 実存・構造・他者:モダンとポストモダン』中央公論社, pp.47-122.
2009年「私/世界を生命/環境として捉えると何が出てくるか」清水哲郎(編)『生命/環境の哲学』岩波書店, pp.197-227.
2010年「第六章「哲学する自己」松永澄夫, 村瀬鋼ほか(編)『哲学への誘い?哲学の振る舞い』東信堂, pp.230-260.
2011年「賭博の時間」木村敏, 野家啓一(監修)『空間と時間の病理 臨床医学の諸相』河合出版pp.218-237.
2011年「第五章 生命のリズム/儀礼のリズム」西井凉子(編)『時間の人類学:情動・自然・社会空間』世界思想社, pp.142-157.
2011年「ドゥルーズ/ガタリ」井上俊, 伊藤公雄(編)『社会学ベーシックス9 政治・権力・公共性』世界思想社, pp.115-124.
2011年 Deleuze und Nishida Annäherung an eine intensive Welt, Y.Nitta, T.Tani, Aufnahme und Antwort: Phänomenologie in Japan 1, Orbis Phaenomenologica, pp.88-94.
2011年「西田幾多郎の時代的役割」五十嵐伸治, 千葉幸一郎, 千葉正昭(編)『大正宗教小説の流行』論創社, pp.3-20.
2012年 Le vitalisme de Bergson et son contexte,  Shin ABIKO, Hisashi FUJITA, Naoki SUGIYAMA, Disséminations de L’évolution créatrice de Bergson, Georg Olms Verlag – Europaea Memoria, pp.204-212.
2012年「第二章」香川千晶ほか『シリーズ生命倫理学2 生命倫理の基本概念』丸善出版, pp.19-34.
2012年「生命論的差異について イントラ・フェストゥム論にむけて」野間俊一(編)『いのちと病い 〈臨床哲学〉に寄せて』創元社, pp.31-50.
2014年Deleuze’s strange affinity with the Kyoto School: Deleuze and Kitaro Nishida , Bogue, Chiu, Lee, Deleuze and Asia, Cambridge Scholars Publishing, pp.48-59.
2015年L’existence de la mémoire. Henri Bergson et Walter Benjamin, Shin Abiko, Hisashi Fujita, Masato Goda, Tout ouvert : l’évolution créatrice en tous sens, pp.249-262.
2015年「日本競馬観客考」東京農業大学「食と農」の博物館(編)『日本人と馬埒を超える十二の対話』東京農業大学, pp.228-265.
2015年「サルトルとドゥルーズ」澤田直(編)『サルトル読本』法政大学, pp.296-309.
2015年Visage, affectivité et figure, Enaudeau, Vorinne, Fruteau de Laclos, Frédéric, Différence, différend : Deleuze et Lyotard, Belles Lettres, pp.145-162.
2015年「ドゥルーズ没後20年の〈世界的現在〉」小泉義之ほか『ドゥルーズ没後20年 新たなる転回』河出書房新社, pp.25-33.
2016年「第一部第二章 ドゥルーズ=ガタリのテクノロジー論」春日直樹(編)『科学と文化をつなぐ:アナロジーという思考様式』東京大学出版会, pp.39-58.
2016年「共生学の人間学〈矛盾〉を生きること」河森正人, 栗本英世, 志水宏吉(編)『共生学が創る世界』大阪大学出版会, pp.19-31.
2016 Kenji Miyazawa and Takaaki Yoshimoto, Tony See, Jeff Bradley et., Deleuze and Buddhism, Palgrave, pp.51-68 .
2016年「アフォーダンスとベルクソン」平井靖史, 藤田尚志, 安孫子信(編)『ベルクソン『物質と記憶』を解剖する:現代知覚理論・時間論・心の哲学との接合』書肆心水, pp.154-158.
2017年「過去はなぜそのまま保存されるのか――『物質と記憶』の記述の多層性について」平井靖史, 藤田尚志, 安孫子信(編)『ベルクソン『物質と記憶』を診断する:時間経験の哲学・意識の科学・美学・倫理学への転回』書肆心水, pp.99-111.
2018年「第九章 「食べる」ことと性―食の哲学に関する一側面―」八十島安伸・中道正之(編)『食べる』大阪大学出版会, pp.203-223.
2019年「〈もの自体〉をめぐる哲学と人類学」床呂郁哉, 河合香吏(編)『ものの人類学2』京都大学学術出版会, pp.279-290.
2019年「助けることの哲学 災禍は避けられないし助けることは常に失敗する, では何をなすべきか」渥美公秀, 稲葉圭信(編)『助ける』大阪大学出版会, pp.3-22.
2020年「「共生」の位相を巡る思想史―小さな物語の横溢?大きな物語の欺瞞? 」志水宏吉, 河森正人, 栗本英世, 檜垣立哉, モハーチ・ゲルゲイ(編)『共生学宣言』大阪大学出版会, pp.53-75.
2020年「第二章 ヨーロッパの自意識と不安」『世界哲学史 8』筑摩書房, pp.51-72.
2021年「第八章 賭ける――人生の修練としての賭け」「第九章 オンライン座談会「不透明な時代を〈人間〉としてどう生きるか」」岡部美香(編)『越える・超える』大阪大学出版会, pp.169-188, pp.189-216.
2021年「第十二章 動物と人間―わざ論の視角から」床呂郁也(編)『ワザの人類学』京都大学学術出版会, pp.311-327.

ゼミ紹介

 
現代のさまざまな思想をとらえなおす。
ゼミではドゥルーズやフーコーなどの現代思想の古典といわれるもの、あるいは京都学派以降の現代にまで通じる日本の思想をとりあげ、現代的なテーマである、身体、生命、性、人種、権力、資本主義などについて考えなおします。現代哲学の文献もすでに五〇年以上前の思考ですが、二一世紀の現在がかかえるさまざまな問題に連関しています。

メッセージ

哲学という学問は古代から近世をへて現代にいたるまで膨大な文献的蓄積の上になりたつものですが、私はこれまで、とりわけ現代哲学といわれるものについて、以下の三つの方向から研究してきました。
1)フランス現代思想 生の哲学者といわれるアンリ・ベルクソン、独自の身体の思考を形成したメルロ=ポンティ、それと連関したジル・ドゥルーズ、そして現代におけるエピステモロジー(科学認識論)の系譜上になるミシェル・フーコー。彼らの思考は、身体や生命という主題において現代を考えるときに、直接的に参照されるべきものです。
2)京都学派以降の日本の思想 日本に西洋の思想が導入されたのは、西田幾多郎や田邊元、三木清は和辻哲郎をはじめとする京都学派系と、フランスの現代詩(ランボー、ボードレールなど)や文学に魅せられた小林秀雄や、そのうえでマルクス主義の思想をとらえなおした吉本隆明などの文芸評論の系譜があります。前者はアカデミズムにおける正当な哲学の輸入者でありながら日本語による哲学のオリジナルな創造をおこない、戦後においても一定の影響力をもちました。またそれとは別系譜とはいえ、東京でも大森荘蔵や廣松渉など、「脱近代」という点では関連する思想が形成されました。後者は、基本的にアカデミズムに依拠することのない言説空間を開き、柄谷行人や東浩紀など日本固有の思考をつくりあげました。われわれもまた日本語において西洋の思考をとらえなおし、日本語の空間で何かを創造するという、同じことを、今の時代の問題を前におこなわなければなりません。
3)生命/身体/テクノロジー 二〇世紀から二一世紀にかけて大きな主題となったのがバイオテクノロジーの進展による身体や生命のとらえなおしです。フーコーの言葉を借りていえばバイオポリティックス(生政治)といわれる領域が、性(ジェンダー)や人種、健康や障害との関連において、また地球環境系全体との連関においても拡がっています。こうした領域において「賭ける」「食べる」「住む」などをキーワードとした文章を書いてきました。
 この三つはクロスするものですが、広く二一世紀の今において問題となる諸事象を解き明かすために必須なものだと考えます。それをなすためには、フランス現代思想や京都学派など日本哲学の文献をきちんと読み解きつつ(それはかなりの困難の伴うものです)、現代的な問題意識をしっかりともつことが必要になります。私も微力ながら自分でこうした問題の検討をまさに人生のテーマとしています。それを少しでも学生さんとともに進められればとおもいます。

大学院

 

大学院では、1)ドゥルーズやフーコー、デリダやナンシーなどを軸とした現代フランス思想 2)西田幾多郎や田邊元、和辻哲郎や三木清を中心とする京都学派系の日本思想のテクストを扱い、それらを解読しつつ、まさに彼らが直面したポスト近代的な諸主題(身体、生命、性、人種、資本主義、管理社会など)と、さらには日本語によってなされる思考の独自性について考えたいとおもいます。何れの思想も古典から現代にいたる膨大な哲学史をひきうけながら、それぞれにとっての現代の先鋭的な問いをとらえなおしており、それは現在において「哲学」をおこなうために必須なものです。