スウェーデンの後悔投票(書斎の窓478号掲載分)

                                      専修大学法学部

                                   教授 菱木昭八朗

 

スウェーデンに、後悔投票(angerrostning)と呼ばれる、私たち日本人には馴染みのない投票制度がある。郵便局、在外公館、あるいはまた郵送投票といった、事前投票によって選挙人が一旦投票を行った後、何等かの理由で、「しまった。あの政党に投票すべきではなかった」とか、「あの候補者に入れるべきではなかった」と、思ったような場合、選挙日当日、各投票区に設置されている投票所において、改めて投票をやり直すといった投票のやり直し制度のことである。先に行った投票を悔いて行われる再投票という意味で、スウェーデン語では後悔投票と呼ばれている。一九八五年の総選挙から採用されるようになった投票制度である。

スウェーデンの投票制度の中に、このような後悔投票という投票方式が採用されるにいたったのは、スウェーデン選挙制度の中に、早くから郵便局投票、在外公館投票といった事前投票方式が導入されていたということと、同時にまた、投票は選挙日当日、投票区投票所において行うことがスウェーデン公職選挙法の大原則になっているからでもある。つまり、スウェーデンの事前投票制度は、わが国の不在者投票と同様、選挙日当日、投票区投票所において投票を行うことができない選挙人のために設けられている投票制度であるが、しかし、それはあくまでも便宜的な仮投票制度であると考えられているからもである。

ところで、スウェーデンにおいて事前投票制度として郵便局投票が採用されたのは一九四二年、また在外公館投票が導入されたのが一九六八年であるが、現行公職選挙法の規定では、郵便局投票の場合は選挙日の一八日前(ただし、昨年の公職選挙法改正までは、郵便局投票の場合、選挙日の二四日前から投票ができるようになっていた)、特設投票所投票の場合は選挙日の一週間前、在外公館投票の場合は選挙日の二四日前、そして更にまた郵送投票の場合には二十四日前から(但し船舶投票の場合には五五日前)投票ができるようになっている。なお、船舶投票とは、外国航路を航行中のスウェーデン船舶内において行われる選挙と票のことで、船舶乗組員およびスウェーデン船客を対象に行われる投票のことである。

なお、ついでながら、昨年の公職選挙法改正によって、国内において事前投票を行うことができなかったスウェーデン海外旅行者のために、旅行中、旅行先のスウェーデン在外公館において在外公館投票ができるようになっているということを付け加えておきたい。

しかし、考えてみれば、選挙日の二四日も前に投票してしまっている、実際の選挙日までの間にいろいろなことが起こってくる。たとえば、選挙人が投票した候補者が死亡してしまったり、選挙人が投票した候補者のスキャンダルが選挙日の間近になって発覚するかも知れなし、また選挙戦が終盤に近づくにつれ選挙人が事前投票をしていた政党のイメージが、想像していた政党のイメージとは全く異なってくるかも知れない。

そのような場合、事前投票を行っている選挙人は、「できることならもう一度、投票のやり直しをしたい」思うかも知れない。そのようなことを考えて、生まれてきたのがスウェーデンの後悔投票制度なのである。

最近のマスコミ報道によれば、わが国においても、西暦二〇〇〇年以降に実施される選挙から、ようやく、不在者投票と共に海外居住者のために在外公館投票と郵送投票という郵便による投票方法が導入され、さらには遠洋漁業に従事している漁船の乗組員についても不在者投票が認められるようになるかも知れないということである。しかし、聞くところによれば、在外公館投票の場合は投票受付期間は選挙公示があってからわずか五日間ということである。

不在者投票の場合は選挙公示があった日から選挙日の前日まで不在者投票が認められているのに対して、在外居住者の場合は選挙日の五日前からしか投票が認められないということは不公平である。海外居住者の場合であっても不在者には変わりがない筈である。したがって、海外居住者の場合であっても一般不在者の場合と同様、少なくとも選挙告示のあった時もしくはそれ以前からでも投票が認められてしかるべきである。もちろん、だからこそ、郵送投票という別の投票方法が考えられているんだ、というかも知れないが。

確かに、在外公館投票の場合、投票受付期間の問題はあるにしても、投票受付期間が選挙日までの五日間だけということになると、あるいは後悔投票の問題を考える余地はないかも知れない。しかし、郵送投票ともなれば話はまた別である。さらにまた遠洋漁業に従事する漁労関係者に対しても事前投票が認められるいうことになれば尚更のことである。

もちろん、その場合、投票の受付期間をどのくらいの日数に設定するかということが問題になってくるが、少なくともその場合、投票期間が一週間、一〇日ということは考えられない。とすれば、あるいはその時点で後悔投票の問題を考えてみる必要がでてくるかも知れない。

そこで、以下、スウェーデンの後悔投票の仕方について、簡単に紹介してみたいと思う。

スウェーデン公職選挙法の規定によれば、事前投票を行った者が選挙日当日、後悔投票を行おうとする場合、選挙人は自分の氏名が搭載されている選挙人名簿の設置されている投票区投票所に出向いていって、投票管理責任者に対して後悔投票の申し出をする。投票管理責任者が選挙人から後悔投票の申し出を受けたとき、投票管理責任は、まず、最初に、後悔投票の申し出を行った選挙人の氏名が、当該投票区の選挙人名簿に搭載されているか否かを確認し、さらにコミューン選挙管理委員会から事前に投票区投票所に届けられてきている投票用窓開き封筒の中に、後悔投票の申し出を行っている選挙人の窓開き封筒が含まれている否かを点検する。その中に後悔投票の申し出を行った選挙人の窓開き封筒があれば、それを取り出し、さらにその窓開き封筒の中に後悔投票の申し出を行った選挙人の投票用紙の封入されている投票用封筒が入っているか否かを確認する。

ここに窓開き封筒とは、事前投票が行われた場合、その投票用紙をコミューン選挙管理委員会に送付するために用いられる投票用封筒のことで、宛名欄が四角の窓になっていることから窓開き封筒と呼ばれている。

スウェーデンの選挙では、国会・県会、そしてコミューン議会選挙の種類別に、選挙人は自分でそれぞれの投票用封筒に一枚ずつ投票用紙を入れ、封をして投票管理責任者に手渡すことになっているが、事前投票の場合、選挙人から投票用紙の封入されている投票用封筒を受け取った投票管理責任者がさらに投票用封筒に投票用紙が封入されているか否かを確認した後、その投票用封筒を窓開き封筒に入れて封を閉じた上で、郵便局投票、特設投票所投票の場合には関係コミューン選挙管理委員会に、そしてまた在外公館投票、郵送投票の場合には中央選挙管理委員会を通じて関係コミューン選挙管理委員会に送付する。郵便局または在外公館からコミューン選挙管理委員会に郵送付された窓開き封筒は、選挙日当日、投票開始時間までにコミューン選挙管理委員会から事前投票を行った者の氏名が搭載されている選挙人名簿が設置されている投票区投票所に送付されることになっている。

後悔投票の申し出を受けた投票管理責任者は、投票区投票所に後悔投票の申し出を行っている者の窓開き封筒が投票区投票所に到着している場合には、その窓開き封筒を選挙人本人に返還するか、それとも投票区投票所において別個に保管しておくかを決めて、選挙人に投票用封筒を渡して、再投票を行わせることになる。もちろん、投票用紙は、選挙人自身が選択して投票用封筒に封入し、封を閉じた上で、投票受取人に引き渡す。後悔投票の申し出を行った選挙人の窓開き封筒がコミューン選挙管理委員会から投票区投票所に到着していなければ後悔投票の申し出は認められない。投票管理責任者が後悔投票の申し出を受理した場合、投票管理責任者は後悔投票を行った者の氏名をプロトコールに記載すると同時にまた投票用窓開き封筒を本人に返還したか否かを記録しておかなければならない。

しかし、考えてみれば、一度、投票を行った者に対して再度の投票を認めるということは、親切といえば親切なことであるが、事前投票の有無をチェックしたり記録したりして、投票管理責任者にとって、かなり手間暇のかかることである。

それにまた、一九八五年に後悔投票制度が導入されてこの方、スウェーデンの選挙統計によると、実際に後悔投票制度を利用した選挙人の数は極めて少なく、後悔投票の導入された一九八五年の総選挙では、投票者総数、五六一万五二四二人(有権者総数六二四万九四四五人)のうち、後悔投票を行った者は、二八三六人、一九八八年の総選挙では、投票者総数、五四四万一〇五〇人(有権者総数六三三万〇〇二三人)のうち、一九〇四人、一九九一年の総選挙では、投票者総数、五五六万二九二〇人(有権者総数六四一万三四〇七人)のうち、一四四八人と選挙の行われる度毎にその数が減少してきていることから、選挙実務に携わる者の間には、後悔投票制度をやめるべきだとする意見もある。さらに、一九九七年の公職選挙法の改正に際しては、特別指名投票制度の導入と関連し、一部識者の間からも、選挙事務の繁雑さ、特に二重投票の危険性を回避するため、後悔投票制度を廃止すべきであるという意見も出されていたほどである。(注)

しかし、スウェーデン国民にとって選挙日投票が投票制度の基本原則であると考えられているということと、同時にまた選挙人の真意を政治に反映させることがスウェーデン選挙投票の大原則であると考えられているという理由から、審議会の大勢は今後とも後悔投票制度を存続すべきであるという結論にいたった。

そこでその代案として、選挙事務の繁雑さと投票事務に携わっている者の労働加重を防ぐために、後悔投票に限って一般投票時間(午前八時から午後八時までの一二時間)を二時間短縮して、午後六時までにするという提案が行われ、今年の九月に実施される総選挙(九月二〇日第三日曜日)から実施されることになった。

開票手続きは、午後八時、投票の締め切りと同時に投票区投票所において国会・県会そしてコミューン議会選挙の順に一斉に開票が開始されることになっている。開票は投票用封筒に封入されている投票用紙を投票用封筒の中から一枚ずつ抜き出し、各政党別に投票用紙を仕訳してその投票用紙の枚数を計算し、さらにまた特別指名投票が行われている場合には、各政党ごとに各候補者の特別指名投票数を計算する。そしてその結果は直ちに県選管に報告しなければならないことになっている。したがって、スウェーデンの開票手続きはかなり手間暇のかかるものであるが、それでも尚、且つ後悔投票制度を存続させたということは、スウェーデンの立法者がいかに選挙というものを大事に考えているかということの一つの証左である。

これからわが国においても、不在投票のほかに在外公館投票、郵送投票、さらには遠洋漁業に従事している者に対しても何等かの方法で事前投票の機会を認めるなど投票の機会をより大きく広げようとしているということである。しかし、その場合、果たして、わが国の立法者は、スウェーデンのように事前投票を行った者に対して後悔投票を認めるというようなことまで考えるであろうか。・・・・・でも、私は、そのようなことを考えてくれる立法者がでてくることを期待する。

          以上

(註)(後悔投票制度の廃止論については、SOU 1996:66 Utvarderat personval, Riksskatteverkets rapport (1996-03-22)Utvardering av valen 1994 och 1995 (med tonvikt pa personrostning)参照)。(一九九八年七月十日記)