スウェーデンの散骨(書斎の窓掲載分)

 

 最近、埋葬の自由の問題と関連して、散骨の問題がときどき新聞、テレビ等で取り上げられている。いうまでもなく、散骨というのは遺体を火葬に付した後、その焼骨を粉末状にして、その遺灰を海あるいはまた山や川に撒いて野辺の送りを行う一つの自然葬の方法である。

 わが国の場合、「墓地、埋葬等に関する法律」という法律があって、散骨は原則的に禁止されているが、最近は、厚生省の高官の、“節度を保った散骨ならば必ずしも違法とならない”、といった発言から、半ば黙認といった形で可成りの範囲で散骨が行われているようである。

 何時だったか、朝日新聞に「葬送の自由をすすめる会」の市民グループが山梨県内にある東京都の水源林に散骨を行ったことに対して、関係市町村から東京都に対して散骨をやめるよう指導して欲しいといった要請が行われた、という記事を読んだことがあるが、散骨について何等の法的規制のないわが国の場合、このような問題が起こってくるのは当然のことである。そしてまたこれからもこのような問題はしばしば起こってくるかも知れない。

 スウェーデンでも、かなり早くから散骨が行われていたらしく、既に1960年代からの埋葬規則の中に散骨を規制する規定が設けられている。と同時にまた散骨の規制を行うと共に公共墓地にいわゆるミンネスルンデンと呼ばれる散骨場を整備し、原則として散骨を行う場合、その場所に散骨を行うよう行政の指導が行われている。しかし、それでもまだ、人家のあるところに散骨を行う者がいるらしく、1987年の埋葬法改正審議会では、住宅地、または将来、住宅地となりうる場所、もしくは散骨によって他人に迷惑がかかるような場所への散骨を明文の規定をもって禁止すべきであるという提案がなされた。最終的には、今日、

ほとんどの公共墓地(教会墓地)にミンネスルンデンと呼ばれる散骨場所が設けられているということから、特にミンネスルンデン以外の場所に散骨を禁止する規定を設けるまでもないということで、ミンネスルンデン以外の場所への散骨禁止規定は設けられなかったが、それでもまだ、ミンネスルンデン以外の場所に散骨を行いたいと思っている者が結構いるらしいということである。

ところでここにミンネスルンデン(Minneslunden)とは、日本語でいうならば、さしずめ「追憶の森」ということになるが、しかし、森というよりは、むしろ芝生の広場といったところである。もちろんそれぞれの墓地によってミンネスルンデンの規模も構造も異なっているが、ウプサラ教会墓地の場合、ハマナスの生け垣で仕切られた芝生の広場で、ミンネスルンデンの注意書を書いた看板が立てられて、その広場の片隅に鉄製の燭台といくつかの花が供えられているだけである。夜になると燭台には蝋燭が灯され、ミンネスルンデンの雰囲気が醸し出されるが、しかし、白夜も終わり秋の気配がただよう頃になると、真っ暗な闇の中に燃える蝋燭の火を見るのはあんまりいい感じのものではない。

 しかし、ストックホルムから800キロほど北にいったところにあるハンメルダールという町の教会墓地にあるミンネスルンデンには大きな十字架が建てられ、そのすぐ側に

「亡骸は大地に、御霊は神に、思い出は遺族の胸に」


   という言葉を刻み込んだプレートをはめ込んだ大きな自然石と簡単な花筒置きが置かれている。そしたまた芝生の角の方には献花場が設けられていて散骨した遺族の献花が供えられている。最近、散骨が行われたのか、芝生のところどころが削られている。

 それでは一体、ミンネスルンデンへの散骨はどのような方法をもって行われているかというと、ミンネルンデンの散骨を行おうとする者は、先ず最初に、ミンネスルンデンのある県の県庁の許可を得なければならない。無断で散骨を行った場合、処罰されることになっている。散骨は原則として公共墓地(スウェーデンの場合、ほとんどが教会墓地が公共墓地になっている)のミンネスルンデンにおいて行われなければならないことになっているが、県の許可を得た場合、ミンネスルンデン以外の場所に散骨を行うこともまた可能である。しかし、その場合、県の許可はかなり厳格だということである。また、散骨を国外のどこか、例えばインドのガンジス川で散骨を行おうとする場合には遺灰の国外搬出の手続きが必要である。

 県の許可を得てミンネスルンデンもしくは指定の場所に散骨を行った者は、その結果を県に報告しなければならない。県が散骨を行った者から散骨完了の報告を受けた場合、直ちに県はその旨を県税務事務所に通知しなければならない。また一方、ミンネスルンデンに散骨が行われてた場合、墓地の管理者は墓地台帳にミンネスルンデンに散骨された者の氏名、個人番号、死亡年月日、死亡の場所及び散骨の行われた年月日を記録しておかなければならない。

 以上がスウェーデンにおける散骨の方法であるが、しかし、最近、ミンネスルンデンに遺灰ではなく、遺体をそのまま埋葬させろ、という要求がでてきているということである。つまり遺体の入ったお棺をそのまま匿名でミンネスルンデンに埋葬させよという要求である。そもそも散骨という埋葬方法は、遺族にとって将来一切の宗教的行事から解放されるために考え出された葬送方式であって、この世に死者のアイデンテイを残さないということによってその意味が生かされてくるのである。従って、お棺に入った遺体をそのままミンネスルンデンに埋めてしまうということも、死者のアイデンテイをこの世に残さないということでは散骨の思想に通ずるものがあるように思われるかも知れないが、しかし、ミンネスルンデンのどこに、どのような状態でお棺が埋められているか、全くわからないということであると、 誰かがまたミンネスルンデンに同じような状態で遺体の入っているお棺を埋めようとした場合、一体どうなることだろうか。埋葬法審議会ではそのような要求は拒否されたが、しかし、スウェーデン社会における外国移民の増加と核家族化現象の拡大と共に、将来、埋葬の仕方にどのような要求がでてくるか考えておかなければならないことである。

振り返ってわが国の場合をみた場合、厚生省に役人の一言で散骨が半ば公然と認められるようになってしまっているが、おそらく将来、核家族化に伴う家族の連帯感の希薄化と墓地行政の貧困から、散骨ということが多くなってくるかも知れないし、またそれに伴って環境保護の観点からもいろいろと問題がでてきそうである。早急に散骨のルールを整備すべきである。

以上(菱木昭八朗 1994.09.ハンメルダールにて)


私のエッセイ目録に移る 

_